私は、写真家として作品を発表しながら、フリーランスのカメラマンとしても活動しています。近年は、大学時代から構想し始めた「物語」というシリーズの作品を主に制作、発表しています。
在日韓国人三世である私が「自分はいったいどこの誰なのか」を考えたときに作品のイメージが浮かんできました。たくさんの異文化が入り混じった日本で、私が出会ってきた物事がミックスされています。頭の中で浮かんだイメージに合うように、モデルを探して、小物を用意して、写真を撮影していきました。
例えば、「少女」という作品では、チマチョゴリという韓国・朝鮮の民族衣装を使ってはいますが、これは民族衣装というよりも、私にとっては結婚式に着る綺麗な服であったり、おばあちゃんが来ていた服という印象でした。それを熊の頭を持つ女性が着ています。熊というモチーフは、韓国やアイヌ、北欧などでも神格化されています。
また、私は男性が女性の姿でパフォーマンスを行うドラァグクイーンのショーを見るのが好きです。ドラァグクイーンは、今でこそメジャーな存在となっています。昔から世界では、信仰などの特別な場で、性別を持たない中性的な存在がシャーマンや巫女などとして現れることが多かったようです。そのような役割をする人が神様と結婚するために、男性から女性になる儀式もあったとか。「巫女」という作品は、頭に骨盤を被り、手にはへその緒とナイフと溶岩を持った人物が写っています。溶岩は大地のエネルギー。出産と誕生を司る、私の創作の巫女です。
といったように、伝承と私なりのイメージと物語を組み合わせて「物語」ができ上がっています。自分自身にとっての国や故郷を創造しているような、自分のための国づくりの神話でもあるんです。
「物語」という作品は、撮影した後に「これは何なのか」と振り返る作業にかなり時間を使うこともあり、大学卒業後、長い時間をかけてゆっくりつくっていこうと思っていました。「物語」シリーズのなかの「少女」という作品を、今の肖像画のようなイメージで撮影し、完成したのが2013年のことです。その翌年、韓国のキュレーターの方から連絡があり、「釜山ビエンナーレ2014」の若手作家の展示企画に出展することになったんです。日本人の感覚で制作した作品だったので、まず韓国から反応があったのは意外でした。このことがきっかけになって、「物語」作品と向き合い、制作していく方向へ導かれた気がします。
韓国での展示の翌年には、京都のギャラリーでも展示を行いました。さらに東京での反応がどういったものになるのか知りたいと思って、キヤノンというカメラや映像機器を製造する会社が行っている「写真新世紀」というコンペに応募することにしました。新人としての登竜門でもあるし、東京都写真美術館という大きなところで展覧会ができるのも魅力でした。
そこでなんと2016年のグランプリに選ばれたんです。審査員の方からは「はっきり言ってしまったらみんなに何か言われそうで、けれどそこをあなたはうまく自分の言葉でそっと提示しています。みんなに考えさせて、あなたの写真を見たあと外に出てから「えっ」と思うような、不思議なコミュニケーションが伝わってきます(「2016年度グランプリ選出公開審査会報告」より一部を抜粋)」、といった内容や「普遍的なアミニズムや説話のような表現にメッセージが含まれているというのは、受け取る側も、否定や拒否から入ることがない。ストーリーとして受け入れられやすいのではないか」など言っていただいて、すごく嬉しかったですね。
特に私を選出してくださった審査員のオサム・ジェームス・中川氏は、アメリカ人と日本人の間に生まれた方で、沖縄の戦争の傷跡のある場所で写真を撮影しておられる写真家。私の作品についても故郷の不在の感覚、マイノリティ的な目線、そういった感覚の表現方法を評価してくださった気がします。
受賞を経て改めて思うのは、写真というのは、対象をそのまま写しとるということ。例えば、「この人きれい!」と思って撮影しても、写った写真はその時の感覚と違うことがあります。自分が目で見て、頭で思い込んでいたことは、写真には写らないんですね。実際にカメラの前にいるものはそれ以上にも以下にもならない。だからこそ、「物語」の作品も、私が無意識に使った道具やモデルとして選んだ人を、「なぜ自分はこれを撮影したのか」と写真を見ることで、分析することができる。そのことが、作品の説得力になってくれているのではと思います。
写真と出会ったのは、大学1年生の時。当時カメラを初めて触って、楽しいと思ったのが最初ですね。女性写真家が多く活躍していた時で、あの作家みたいに撮るにはどうしたらいいんだろうと研究したり、インスタントカメラを使ったり、いろいろ試して熱中してましたね。
4年間学んだ後、さらに研究生として1年間、成安造形大学に在籍しました。その時教わった先生に教えてもらったのが、ダムタイプという映像やパフォーマンスを用いたアーティストグループ。彼らの作品に興味を持ったことから、身体表現や身体を使うことを考えるようになりました。特に「S/N」という作品を映像で見た時は衝撃的で、「日々感じているような私的なことを作品にしていいんだ!」と思ったのを覚えています。
同じく研究生の時に、自分のルーツに近い韓国の古典舞踊の先生のもとに弟子入りして、身体を使って何かをつくることを体験したことから、感覚の変化がありました。古典の世界では、日々の生活のなかの仕草や自然の移り変わり、信仰などから美しい踊りや音楽が生み出されていることに気づきました。人が「表現する」ことの原始的な部分に触れた気がしています。
写真コースで、写真をたくさん見てたくさん撮影してましたが、どこか迷いがありました。そんな中で、身体のみを使った何もない状態からの創造的活動を行うことで、凝り固まった視点がほどけたような、楽になる感覚がありました。その後、写真って身体を使って撮影するものなんだ、と気付けたし、多角的に物事を見れるようになったのも自分の身体から学んだことですね。その時の身体の使い方や舞台の役のつくり方、踊りや仕草などの発想は、「物語」の作品を形づくる重要な要素になっています。
私自身、「物語」とは別に、学生の頃から撮影し続けているスナップ写真やプリントした写真を用いたインスタレーション作品を制作していますが、制作プロセスが違うので、それらと「物語」はまったく違うものだと考えていましたが、「写真新世紀」でプレゼンテーションをした際、作品の経緯を自分自身で分析していくことで、これまでやってきたこととの関連性が具体的に自分の中で整理できました。スナップ写真は私の日常を撮影しているのだから、「物語」の作品はその地続きにあるものなんです。今後は、そのことを発展させる形で、作品制作の方向性を見いだせたらと思っています。
(インタビューは2017年1月に行われたものです)
1981年生まれ。2005年、成安造形大学写真クラス卒業。関西を中心に活動中。
また、「umiak」の名義で、カメラマンとしてもお仕事をしています。
BusanBiennale2014、Art Court Frontier 2016 #14、
写真新世紀展2016、showcase #6(curated by minoru shimizu)等に出展。
2017年の11月に「物語」シリーズでの新作を、写真新世紀東京展にて発表予定。
http://kimsajik.com